男性原理主義の終焉と映画『プレシャス』
『プレシャス』は、『息もできない』を観に行った時に、予告編で気になっていた映画です。
その後、内田樹先生のブログで、「『映画史の潮目』の生き証人になりたい人はこの映画を見ておく方がいいと思う」という記述を読んで、そういうものならリアルタイムで観ねば、ということで行って来ました。
ちなみに、ブログでの内田先生の見立ては、以下の通り。
(1)諸悪の根源であり、物語の「天蓋」(キャノピー)をかたちづくっているのは、抑圧者としての父または父権的なものである。
(2)主人公に慰めや癒しや励ましをもたらす役割はすべて女たちが担っている。
(3)たぶん映画史上はじめて男性のフィルムメーカーたちにより発信され、意図的に作られた男性嫌悪映画である。
(4)物語の構造が、アメリカの文化は「女性的なもの」へと補正されなければならないという意図に貫かれており、その作業は「女性たちだけのホモソーシャルな集団」によって担われる以外にないと告げている。
確かに主要な登場人物は、すべて女性。男性の登場するシーンは、看護士ジョン(レニー・クラビッツ!)との淡い交感と抑圧的な象徴として登場する「父」の回想シーンなど僅か。
意外性のあるキャスティングとして、看護士役がレニー・クラビッツだったり、マライア・キャリーがスッピンでソーシャルワーカーを演じていてのが面白かった。
あと主人公が通うフリースクールのクラスメイトがみんな個性的で可愛かった。
教育機会が少なく、アルファベットも書けない低所得者層の子供達なんだけど、みんなキャラが立っていてお洒落。
物語の骨格が、男性嫌悪的という点では、最近続編が出た『1Q84』と共通点を感じます。
主人公の一人である青豆が、幼少時に「父権的な制度(新興宗教)」により傷つき、長じてDV男性を抹殺を秘密の生業としていたところなんかが。
おそらく男性原理に代表される、権威・組織ヒエラルキーへの奉仕とか、論理性とデータの偏重とかの限界が、サブプライムローンの破綻以降、著しく露呈してきたこととも関係しているのでしょう。
こうした男性原理主義的な価値観の弊害は、会社員時代に私もよく感じたことですし。
このような作品群が生まれるのも時代の要請なのでしょう。
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コメント
遅くなりましたが、私もこの映画観ましたよ。
ちょっといたたまれなくなる内容でした。
レニー・クラビッツがいい人役で出ていたのは、
ファンとしてはうれしいですがちょっと意外です。
だってあの人DVで有名だし女癖悪いし…。
投稿: すもも | 2010年5月24日 (月) 15時19分
すももさん
>だってあの人DVで有名だし女癖悪いし…。
そうなんだ(笑)。
マライア・キャリーのソーシャルワーカー役と共に意外性のあるキャスティングでしたね。
投稿: Dr. Love Pants | 2010年5月24日 (月) 15時23分