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2010年5月

2010年5月24日 (月)

村上春樹と山下達郎の類似性

Spacy 村上春樹と山下達郎、この二人って、キャリア形成の歩みが似ていると思う。
初期の作品は、自分が好きだったアメリカの小説や音楽を、そのまま日本語に移植・翻訳した作風だったのが、作品を重ねるにつれ、徐々に作品の内包する世界が拡大して、日本的な風土やその歴史性まで照準に収めるようになったところが。

二人とも初期の作品は、風通しが良くて、ヌケがいい。
日本的な風土や文脈から解放された地点で、作品が成立しているから。
村上春樹だと、初期三部作から『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』あたりまでは、カート・ヴォネガットリチャード・ブロディガンの小説の影響を強く感じるし、文体もこうした小説の翻訳文を意識的に採用している。
山下達郎も、初期の『SPACY』とか『GO AHEAD』くらいまでは、アイズレー・ブラザーズカーティス・メイフィールドのサウンド的な意匠をストレートに取り入れていて、グルーヴ感重視の洋楽的なテイストが濃厚。

その後、『ノルウェーの森』や『For You』でメガセールスを記録してから、初期の風通しの良さはだんだんと影を潜め、作品の射程が広がり、表現が深化するに従って、日本的な湿度も感じさせるようになった。
ヌケの良い初期の作品の方を評価する、コアなファンが存在するところも似ている。

というようなことを、昨日、代官山で開催された読書会『東京文学サロン月曜会』で話した。

そして家に帰って来て、思い出したこと。
村上春樹の長編『ダンス・ダンス・ダンス』は、シカゴのヴォーカル・グループ デルズのナンバーからタイトルを取ったと、本人がエッセイに書いている。
そして山下達郎は、渋谷陽一とのインタビューで、「自分が影響を受けたのは、サウンドはアイズレーブラザーズ、ヴォーカル・スタイルはデルズ、アティチュードはラスカルズ」と語っていた。
デルズ繋がり。
相当マニアックな黒人音楽ファンでないと聴かないグループでなぜか符合があった。
やっぱりこの二人って、やっていることが近いのかも。

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2010年5月 2日 (日)

男性原理主義の終焉と映画『プレシャス』

335599_002プレシャス』は、『息もできない』を観に行った時に、予告編で気になっていた映画です。
その後、内田樹先生のブログで、「『映画史の潮目』の生き証人になりたい人はこの映画を見ておく方がいいと思う」という記述を読んで、そういうものならリアルタイムで観ねば、ということで行って来ました。

ちなみに、ブログでの内田先生の見立ては、以下の通り。
(1)諸悪の根源であり、物語の「天蓋」(キャノピー)をかたちづくっているのは、抑圧者としての父または父権的なものである。
(2)主人公に慰めや癒しや励ましをもたらす役割はすべて女たちが担っている。
(3)たぶん映画史上はじめて男性のフィルムメーカーたちにより発信され、意図的に作られた男性嫌悪映画である。
(4)物語の構造が、アメリカの文化は「女性的なもの」へと補正されなければならないという意図に貫かれており、その作業は「女性たちだけのホモソーシャルな集団」によって担われる以外にないと告げている。

確かに主要な登場人物は、すべて女性。男性の登場するシーンは、看護士ジョン(レニー・クラビッツ!)との淡い交感と抑圧的な象徴として登場する「父」の回想シーンなど僅か。

意外性のあるキャスティングとして、看護士役がレニー・クラビッツだったり、マライア・キャリーがスッピンでソーシャルワーカーを演じていてのが面白かった。
あと主人公が通うフリースクールのクラスメイトがみんな個性的で可愛かった。
教育機会が少なく、アルファベットも書けない低所得者層の子供達なんだけど、みんなキャラが立っていてお洒落。

物語の骨格が、男性嫌悪的という点では、最近続編が出た『1Q84』と共通点を感じます。
主人公の一人である青豆が、幼少時に「父権的な制度(新興宗教)」により傷つき、長じてDV男性を抹殺を秘密の生業としていたところなんかが。

おそらく男性原理に代表される、権威・組織ヒエラルキーへの奉仕とか、論理性とデータの偏重とかの限界が、サブプライムローンの破綻以降、著しく露呈してきたこととも関係しているのでしょう。
こうした男性原理主義的な価値観の弊害は、会社員時代に私もよく感じたことですし。
このような作品群が生まれるのも時代の要請なのでしょう。

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