2011年10月22日 (土)

映画『モテキ』感想

Moteki 映画『モテキ』行って来ました。

やたら画面あたりの情報量の多い映画です。
同じく画面あたりの情報量の多い映画、デヴィッド・フィンチャーの『ソーシャルネットワーク』を観ていて連想しました。
サブカル君の主人公 幸世の部屋に、これでもかと詰め込まれたマンガ・CD・DVD等が、作中メタメッセージとして機能しているため、画面の背景に目を凝らすことがしばしばでした。
映画館で観ているのに関わらず、静止して、巻き戻してみたいという誘惑に何度も駆られます。
これは繰り返しDVDで鑑賞するのに向いた作品ですね。製作側もそれを意図してるのでしょうけど。

特筆すべきは、街の描写です。
これだけ等身大に、同時代の街の風景や店をきちんと描いた映画は珍しいです。
若者の街の記号として、安易に渋谷センター街(今は、バスケ通りって言うんですか?)映したり、人通りの多い繁華街のイルミネーションをバックにラヴシーンを演じるというような、定型的な表現は皆無です。
登場人物が歩く街の風景や、行く店の選択に、説得力や必然性を感じさせます。劇中のキャラクターは、このシチュエーションなら、この街の、この店に行くだろうという意味において。
ロケ地の多くが自分が住んでいる下北沢なので良く分かりますが、集合場所や飲食店、店を出てたむろする場所等が、行くお店のチョイスも含めて非常にリアルです。

思わず笑ったのが、下北沢の老舗ロックバー トラブル・ピーチで、幸世と長澤まさみ扮する みゆきが一緒に飲むシーン。
ほとんど廃屋といっていいような建物に入居した場末感あふれるあのバーに、長澤まさみは来ないだろうと、さすがに激しく思いました。たとえ、この映画の中での彼女の役柄が「サブカル最終兵器彼女」だとしても。

おそらく10年、20年経って観返しても、「そうそう、2011年って、こういう雰囲気だったよね」と回顧できる、今という時代を的確に切り取った映画です。
ただ、やはりリアルタイムで観るのがいちばん楽しい映画だと思うので、映画館で観る事をお勧めします。

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2011年8月 4日 (木)

『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』ジュノ・ディアス 来日記念トークイベントのレポート

51ba9r2cfsl_sl500_aa300_オスカー・ワオの短く凄まじい人生』著者・ジュノ・ディアス 来日記念トークイベントに行って来ました。

作者のジュノ・ディアス氏は、お洒落な感じの男性で、『LEON』とかのモデルになっても違和感のなさそうなタイプの人。
正直言って、作品と作者の印象が違うので、けっこう意外でした。

一作目の『ハイウェイとゴミ溜め』で注目を集め、MIT創作科の教授となり、二作目の『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』では、全米批評家協会賞とピュリツァー賞のダブル受賞、しかもピュリツァー賞の選考委員にも選出されるという、とんでもなく作品の歩留まりのいい作家だと思ってましたが、『オスカー・ワオ』を生み出すのには、相当のエネルギーと時間を注ぎ込んだようです。
一作目と二作目のブランクは11年間ですが、その間、毎日朝6時から正午の12時まで、机に向かっていたそうです。
そして、段ボール数箱に書き溜めた2800ページのマテリアルを、380ページにまとめた作品が、『オスカー・ワオ』だったとのこと。
「長い間、何が自分にとってベストなのか分らなかった。多くの人が自分の得意とするものを見つける前に、ギブアップし過ぎると思う」という発言が、この小説のスタイルを模索し続けた、作家の11年間のトライアルを伺わせました。

以下は、トークショーでジュノ・ディアス氏が語った内容の抜粋。

(1)作中、日本製アニメやSFモノ等の日本のサブカルチャー的な作品が頻出することについて

ウルトラマンは、6歳でアメリカへ移住する前に、ドミニカ共和国のTVで観ていた。
あれは、ドミニカ製の作品だとアメリカに渡ってからも信じていたくらい、自分にとって親しい作品だった。
『AKIRA』等が作中登場するのは、80・90年代の日本のポップカルチャーが、当時のニュージャージーで強い影響力を持っていたから。
また、個人的な要因として、自分のベストフレンドが日本人だったことも大きい。
主人公オスカーが、ショッピングモールでカツカレーを食べるシーンは、彼を思い出して書いた。

(2)小説観について

世界をイメージするのが小説。
短編小説ならあり得るけど、パーフェクトな長編小説、瑕疵のない長編小説は、原理的にあり得ない。
短編は結晶化した宝石のような存在だが、長編はパーティーへ人を招くようなもの。

(3)女性キャラクターについて

自分の読書体験の中で、男性作家の描く女性のリアリティの無さに疑問を感じていた。
『オスカー・ワオ』では、女性のキャラクターが生命線なので、女性を描くことについて非常に留意した。
自分の女友達5人に、女性が主要人物となるチャプターを読んでもらい、そのうち3人が「悪くないんじゃない」と言うまで、書き直した。
男性が、女性に、しかも5人中3人から、「悪くないんじゃない」という言質を引き出すのは、かなりハードルが高いこと。
何度も読まされた、女友達は辟易としていたが。

(4)日本のオタクと違い、主人公オスカーがどれだけ女性からつれなくされても、女性を追いかけるのを止めないのは何故か?(会場からの質問)

ひとつは、自分の家族が持つセクシャリティへの傾向を作品に反映させたかったこと。
ドミニカ人の自分の家族の価値観では、ガールフレンドは2人持つのが当たり前だった(1人では信用できない)。
もうひとつは、創作的な意図として、主人公のオスカーに多くの試練を与えたかったため。

(5)パルガス・リョサについて批判的なのか?、リョサに会ったことはあるか?(会場からの質問)

作中リョサの著作『チボの狂宴』について批判的なのは、それを書いている作中人物の意見であって、作者の自分の意見ではない。
リョサは保守的な人物だが、作中人物はそれよりも急進的な思想の持ち主という設定。
リョサには会ったことはない。
メキシコに住んでいた頃、友人とガルシア・マルケスを5回訪ねたが会えなかった。
どうやら自分は誰にも会えないようだ。

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2011年2月 1日 (火)

久々にハマっているバンド、クレア&ザ・リーズンズ。

513midp9i6l_sl500_aa300_ 数年前から盛り上がっている、ブルックリンの音楽シーンの中のバンドの一つなんだけど、クレア・マルダーのヴォーカルが上手くて、かつキュートなとことが、他のバンドにはない魅力。

他のブルックリン系のバンドもいくつか試聴してみたけど、アフリカとかのワールド音楽と、エレクトロニカ・音響系の要素が組合わさったバンドが多くて、トーキング・ヘッズぽいなという印象。多くのバンドは、音楽的な実験は面白いものの、総じてヴォーカルが弱くてピンとこなかった。

パンク/ニューウェーブから、スタカンとかのブルーアイド・ソウル経由で、R&B・ソウルを聴き倒したというリスナー遍歴なので、ヴォーカルが弱いとちょっと聴くのがツライ。

今まで、リリースされたアルバムは2枚ですが、両方ともおススメです。
1st『Movie』はヴァン・ダイク・パークス参加で、バーバンクサウンドぽい。
2nd『Arrow』は、室内管弦楽とエレクトロニカが合体した感じ。

ご当地ブルックリンでは、ミュージシャン達がひねもすカフェに溜まって、Twitterやfacebookで情報交換しているらしいのだけど、そういうゆるい空気感がアルバムにも反映されていて、和めます。

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2011年1月 5日 (水)

映画『バスキアのすべて』観ました

Press119映画『バスキアのすべて』観ました。
バスキア本人への生前のインタビューや、創作風景等のビデオ、友人・ガールフレンド、アートディーラー・ギャラリストらへの関係者の発言によって構成されたドキュメンタリー・フィルムです。
27歳で夭逝した黒人の天才アーティストという点では、ジミ・ヘンドリックスとイメージがダブります(二人とも頭文字もJだし)。

動くバスキアを初めて見ましたが、とにかくフォトジェニックで、見ていて絵になる。ファッションや髪型、踊るようにしてキャンパスに筆を入れる姿、本当にカッコいい。
作品中に挿入される、バスキアがNYにやってきた80年代当時の、パンク・ニューウェーヴ時代のクラブに集う人々の写真も記録として面白い。バスキアの作品を最初に買った顧客は、ブロンディーのデボラ・ハリーだったらしい。

以前、英会話に通っていたベルリッツで、パートタイムで働いてた講師(本業はキュレーター)が、NY在住時に無名時代のバスキアと友人だった、と言っていたのを思い出しました。興味があったので、どんな人物だったのか訊いたところ、有名になることにどん欲で、野心家ではあるけど、ナイーヴなところがあったと言ってました。この映画で語られるバスキア像と同じですね。フィルムの核になっている25歳のバスキアへのインタビューの中で、時おり目を伏せたり、はにかむような仕草に、繊細な人間性が垣間みれます。

NYアートシーンの寵児としてもて囃されるようになってから、付合いは途絶えたと言っていたのも、この映画に登場する他の無名時代の友人達の証言と同じです。アンディ・ウォーホル等のセレブリティと交際するようになってから、以前からの友人達を遠ざけるようになったと、一人の友人がインタビューで語っています。やがてセレブリティとの社交や、自分の取り巻き達にも幻滅し、周囲が自分を利用しようとしているとの被害者意識に苛まれるようになります。ドラックの弊害が顕著になりはじめてたのも、この頃のようです。突然、有名になったり、リッチになったりして、生活環境や周囲の評価が激変すると、適応するのが難しいのでしょうね。しかも、彼は20代だったのでなおさら。経験がないので、実感するのが難しいですけど(笑)。

亡くなる少し前の頃、深夜に以前のガールフレンドのアパートを訪ねて来たり、無名時代のアート仲間のアパート突然やって来て、作品をプレゼントしたりといったエピソードが、晩年(といっても27歳)のバスキアの孤独を浮かび上がらせます。亡くなる直前の、憔悴し切った姿の写真は、見ていて痛々しいです。
セレブでいることと、利害関係のない友人と親密な関係を維持することは、両立しえない事象でしょう(たぶん)。
そうした孤独に堪えられるだけのタフネスや、鈍感さが彼には備わっていなかったし、友人(恋人?)だったマドンナの言葉を借りれば、「この世には繊細過ぎた」のでしょう。

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2011年1月 1日 (土)

あけましておめでとうございます

2011あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

今年も、いろんな人が、楽しく、幸せな気持ちになるパンツを作ることを目指して働きます。

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