漢の映画『ザ・レスラー』
ミッキー・ローク主演の『ザ・レスラー』観てきました。
まさに、漢の映画でした。
漢のマンガが『あしたのジョー』であるように、漢のロック歌手がジョー・コッカーであるように、漢の探偵小説がチャンドラーであるように、漢の人生相談が北方謙三先生の「試みの地平線」であるように。
主人公は、かつては人気プロレスラーだったものの、加齢とと共に往年の輝きを失い、レスラーだけではやって行けず、副業としてスーパーで細々と働いています。
この設定は当然、80年代に「世界一セクシーな男」だった、主演のミッキー・ロークの現状にダブります。
ある日、試合の後に倒れ、心臓の手術を受けた主人公は、医者の忠告に従い一度は引退を決意するものの、やはり自分の居場所をリング以外に見つけることができず、命を賭けて再度試合に臨みます。
たった一つの生き方しかできない、不器用な男の悲哀と矜持が、映像を通してひしひしと伝わって来ます。
とは言うものの、むしろ演出は押さえ気味で、ドキュメンタリーぽい作りになっています。
いわゆる「泣かせる」演出は、極力排除されています。
だからこそ、巧まざるユーモアやリアリティを感じさせる印象的なシーンが生まれています。
さして広くないロッカー・ルームに、丸太のような腕の巨漢達がひしめき合い、試合前に各々の対戦相手と段取りの打ち合わせをしているシーンは、何だかユーモラスです。
また、試合を終え、血まみれになってロッカー・ルームに戻って来たレスラーを、「よくやった」、「いい試合だった」と他のレスラー達が讃える場面は、同業者同士の強い連帯感や仲間意識が現れていて感動的です。
机や椅子で殴り合い、有刺鉄線の上で組み伏せ合い、血みどろになって闘った対戦相手と「じゃ、また明日」と、握手して別れるところもプロフェッショナルな感じでリアリティーがあります。
最後の方のシーンで、試合に出るのを引き留める女性に「自分の居場所はここしかない。(観客こそが)家族なんだ」みたいなことを言い捨てて、主人公はリングに向かいますが、これを見たとき脳機能学者 苫米地英人氏ならなんと言って説得するだろう?と反射的に思いました(笑)。
「その思い込みは、スコトーマ(盲点)になっている。思考の抽象度を上げて、職業選択の可能性を検討すれば、他の生き方が見つかる」とかと説得されても、主人公は言うこと聞かなさそうだし。
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